浅草-20250411

浅草に行きたい、1人で。

『ルドルフとイッパイアッテナ』を小学生の時に読んで以来、浅草は特別な場所だ。当時は、そこが東京であることも観光地であることも全く知らなかった。でもなんとなく人波の中でルドルフが飼い主の女の子と一瞬の再会をするのを読んだ時のあの感触は、舞台が「あさくさ」でなくては得られなかった気がするのである。

『ルドルフとイッパイアッテナ』は、僕が本当の意味で読書しかしていなかった頃の象徴でもある。真っ直ぐな感受性で読んだ文字をそのまま今も読めるというのが、本のすごいところだ。素の感性について考える上で、過去に読んだ本は、日記と同じくらい威力を持つに違いない。ああ、浅草に行きたい。

浅草に行きたい理由には、関西にこもって暮らしてきた自分にとって、「東京」がもはや想像の世界であるというのがあると思う。フィクションやインターネットを通して見えてくる空間でしかない。日曜朝の仮面ライダーの放送の合間で、近未来的な東京ドームCITYの広告が流れていた。『くらべる図鑑』に、〈2011ねん〉に建設予定の東京スカイツリーの絵が載っていた。そういう世界観が無意識にずっとあって、頭の中では、もはや少し彩度が低い思い出の街でさえある。(大きくなってから映像で見る東京をリアルだと認めていない)で、そのエモ(?)の極致が、雷門の画像と『ルドルフ』でしかもはや触れたことのない浅草という場所(?)である。

行ってみたらイメージと全然違うかもしれない。そりゃそうだ、ほとんど未知の場所なんだから。想像した物がそのままあればそれも問題である。ただ、何も感じないはずはなく、往復数万円かけて行く価値のある場所かもしれないと思うのだ。所持金のすごく限られた時期に無理していくのが逆に良いのか悪いのかというのはまた別の話になってしまうが、浅草に行きたいということだけはおぼえておこう。