スマホで日記を読んだ時になんとなく正方形っぽいと形が綺麗でいい気がした。英文学の授業で、定型詩にもフレキシビリティはあるのだと確認した後なのもあり、枠にはまるような執筆に意欲がある。視覚詩なんてものもあったっけ。Spotifyのリンクを貼って2行書くというのがなかなかビジュアル的に加点因子であると感じる。
部屋の中での自分と部屋の外の自分を分けるという考え方は、「部屋の中の女性」をテーマとしたあまたの作品によって顕著になる。
大河ドラマを観ていて、俳優たちの圧倒的な演技力に驚くのだが、「こういう人いるよなー」の再現度合いが高すぎる時、演じている俳優自体にもそういうところがある場合が多いのじゃないかと思ってしまう。和泉式部役の人とか源明子役の人とか。
恵方巻のカルチャーに対して食料廃棄のイメージが強すぎて、さすがにもう改善されてるやろうと思ったら全然そうでもないことが分かった。
くだらない。ユーモアの貴賤は受けてによって決まる節があるので一概に言えない。しかし。
オペラ座の怪人の本を失くしてしまっている。
「会話すること自体が楽しい」みたいな人と会話する際に、そういう人同士で話す効率が良すぎるため、巻き込まれると事故るなーと思う。自分は意味の領域に持ち込まないと自分を定義できないという弱さがある。ちょうど、ショートスリーパーに対するロングスリーパーくらい不利。(会話適正を強化したら究極的には会話自体を楽しむことになるのが見えて、正攻法では無理だな…と思った。)
さりとて、自分を整わしたい。温泉のサブスクを検討するほどに。)