怖がりな脳

凝ったストーリーほど奥深いとされて、凝った絵ほど飾りがいのあるように感じる。これは基本的に、嗜好品は複雑な方がそこに乗っかっている意味の量が多いからだ。しかし、要素を乗せれば乗せるだけ意味が増えるわけではない。ありとあらゆる調味料をかけた料理の味は、いかにもバカっぽく単純で、それと同じようなことが脳内で毎日起こっている。

年を取るごとに人生が複雑化してきた。が、一周回ってその複雑さにパターンを見出して単純に見えてきたところがある。生活から感じるあらゆる嫌さはバリエイションがあるが、それを〈ストレス〉という箱に入れて物質的に攻略することに慣れて積み木遊び的になってきている。これは、一旦は自分の生まれ持った性格や能力をわかりきったことから起こった。悩みが100種類くらいあっても、解決法は3パターンくらいしかないと知っているせいだ。自分の性質が全く固定されているわけでも、自分自身に直すところがないわけでも全然ない。でも、何かきっかけのようなものがない限り大きくは変わらないところまでは来ている感覚が最近強い…。だからこのままだとライフハックおじさんになって終わっていくという感覚でなんか味気ないという10年先を読み切って色々考えるのだ。

具体的な課題に、好みの固定化がある。音楽でいうと、自分が知っているべきアーティストはほとんど知っている気がする。色々聴きすぎて、自分がこういうのが好きで、こういうのは受け付けないというのが、音が琴線に届く前に判断できてしまう節がある。音楽が一定以上好きで、音楽が人生とまでは思っていない人は全員この経験を遅かれ早かれするのではないだろうか。自分の好みをメタ認知すればするほど、自分がロックンロールとか全然好きじゃないかもしれないことを感じてくるし、現実の記憶とか体験と結びついた音楽でない限りかけがえのないものにはならないんじゃないかとか思って脱サブスクを意識してレコードのジャズ(ジャズのレコード?)を集め始めた。ジャズはすごく好きでまだまだ先が見えない。でもレコードでジャズを聴きだしたらそれ以上構造的に発展した音楽の楽しみ方って見えない。ジャズで50年、たぶん行けるけど、友達がおすすめしたあんまり好みじゃない曲とかを切り口に未知の世界に踏み込むみたいな中学生の頃の経験をまたしたい節がある。

小説についても、映像についても、自分が楽しめる範囲のものがすごく狭いかもしれないと思うことが多い。生まれ持って相性のいいもの+高校時代までに影響を受けたものから地続きのコンテンツしか全力で楽しめないんじゃないか。僕の場合はそれが流行と交わらないものなので、インターネットをみても全然一員にはなれないし、感動を共有する手段としての文化みたいな考えがなかった。でもこれってすごくこの先不利なんじゃないかと思う。だって自分の興味が他人によって定期的に揺らぐ人の方が結果的により上質な複雑さを手に入れるんじゃないのか。気づいたら(自分の中では違っても他者から見たら)似たような小説ばかり手に取っていて、(自分の中では違っても他者から見たら)似た経験を繰り返してるだけなんじゃないかという考えが浮かんできて、悲しくはないけどもっとやりようがあるだろ感を覚える。

冒頭で料理の喩えをしていた一方で情けないが、僕は食にも挑戦の心がない。こだわりがないわけではない。でも、知っていて大好きな食べ物以外は全部「普通」のカテゴリに入れてしまう。ハッシュドポテトとコーヒーとカルボナーラがあれば必ず満足できる。好みが狭いということと高校時代に時間を持てあましたことと収集癖的な性格が相まって、主観的には終着点が見えてきている。

内から外から単純化してきた感覚を感じているのは、僕だけではないだろう。自分の今までの経験を根っこにして地続きで楽しめるものを一旦知り尽くしたなんて人は、規模は人それぞれにしろ、たくさんいそうだ。その証拠に、大学生はやたらと旅行に行く。geminiに訊いてみたら、旅行の主な目的は刺激を受けるためだそうだ。本当に見知らぬ土地を歩いたら刺激を受けられるのかはわからないけど、家にいるより良さそうだ。でもそれはそれでなんか公式をなぞってる感じでつまんなくないかと思ってしまう。無理して遠くに行く予定を立てたところで、鬼滅の刃を見ようとしてダメだった時と同じ気持ちになるようではやってられない。つまるところ、満足した自閉症はどこへ行けばいいのだろうか。

当分の間はジャズを聴きながら外国文学を読むというのでささやかに楽しみつつ、大学の勉強なり資格の勉強なりに没頭するのがよさそうな気はしている。人生の複雑さとか何とか言って生活水準が下がる方に行動するのは悪い。どこに行くこともできなくても、自分の脳内に与えられた少しの刺激を、日記を書いたり時々何か作ったりすることを通して記録して大切にすることで増大させる…なんかトランペット奏者とか将棋棋士とかのシンプルさの奥の無限の繊細さ……みたいな世界観になってきた。とにかく受ける刺激の量を増やさなくても影響の還元率をあげれば何とかなるんじゃないかと思いついたのだ。

いやでも難しいと思うけどなー。僕も就活が怖いので、(ちなみに就活については朝井リョウの「何者」を読んだ分しか知識がない。)自分の脳みそのモラトリアム具合を維持する方に努力する方がいいんじゃないかと思う。一旦そこを中期目標ということで、解さん。